ひにちくすり

予定日から2ケ月早い早産。出産したことをまだ友人にも誰にも言えなかった。

 

なぜだったのだろうと当時の事を思い返しても、よく分からない。

 

多分まだ心がついていけていなかったんだと思う。
自分自身が受け止められなかったのだと思う。

 

今なら「無理に報告なんてしなくてもいいんだよ。入院中は母体の回復と子供の面倒を優先すべきだよ」と思うが、当事者の時には、そこまで行きつかなかった。

 

出産翌日から、鬼のような母乳指導(母乳推進派の病院だった)や、昼夜関係なくそれをNICUへ運ぶ日々。1人だけの沐浴指導は嫌だったが、まあなんとか忙しい日々を送っていた。

 

そのうち母親だけで搾乳している人も見えてきて自然と仲間意識が生まれる。
「ひょっとして赤ちゃんN?(NICUの略)」「あーうちもだよ~めっちゃ小さくてさ~」誰にも言えなかった事が当事者同士なら言える心地よさがあった。

 

体重よりも週数が問題なんだよね。とか、未熟児の1000台とそれ以下は全然違うよ。1000あってラッキーだったよ。とか、ほんの数日しか出産日は変わらないのに先輩ママさんは知識が豊富だった。

 

泣いて泣いてひとしきり泣いたら、あとは前を向くしかない。
わが子が今どういう状況なのか知るのは怖いけど、知ったうえでじゃ今後どのようなことが考えられるのか。もう照準を皆そこに当てていた。

 

母親同士が仲良くなると、自然とその子供も可愛く見えてくるもので。

 

同じ週数の子や、出生数日ですでに心臓オペを受けた子。
NICUにはさまざまなドラマがあった。

 

出生の話になると皆から「その産婦人科、訴えるべきじゃないか」「お腹が小さいと言わなかったら間違いなく死産だった可能性だって」「今後、うちらみたいに悲しむお母さんを1人でも救えるんじゃないの?」と再三言われたが、首を縦に振らなかった。

 

黄疸の関係でまだアイマスクをしたままの子供。

 

たまに外しても寝ているばかりでまだ目が開いている姿を見たことがなかった。

 

いつ開くか分からないからこそ、子供が初めて見る母親の顔が怒りや憎悪に満ちた顔をしてたくなかったのだ。

 

網膜がつながる前に生まれたので視力もどこまで上がるか全く未知だけども
見えていないのかもしれないけども
最初に見る母親の顔は笑顔でいたい。

 

そう思ったから。

 

裁判云々しているよりも保育器の前に居たかった。正直、他のお母さんの可能性を考えている暇があるならわが子の側に居たかった。

 

後日談では、小さな産婦人科は総合病院から連絡を受けたあと、先生は引退したと聞いた。

 

もうそれで充分ではないか。

 

誰しも早産などを望む産婦人科医などいない。

 

報告を受けて先生は先生なりに思うところがあったのだろう。

 

先生を責めてももうすでにこの子は産まれたのだから。

 


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